スウェーデン・ストックホルムの滞在記です。3年半の間に4つのアパートに住み、子供達は3つの保育所と2つの小学校を経験しました。

Apartment

Fogdevreten 19L

スウェーデンに移住して最初に生活したアパート。UAC (University Accomodation Center) が提供するアパートで、44m2で家賃は当時のレートで12万円ほどでした。入居早々洗濯機が故障して部屋が洪水になったり、掃除機がホコリで作動しないため、シャワーで丸洗いしました。移住したのが秋だったため、急速に早くなる日没、慣れない生活と気候の変化にともなう家族の体調不良など、精神的に厳しい日々が続きました。結局3ヶ月ほどしか住みませんでしたが、家族3人で過ごした思い出深いアパートです。

Wenner-Gren Center

ベネグレン財団が提供する外国人研究者向けの集合住宅です。レセプション、ミーティングルーム、キッズプレイルーム、サウナなどの施設が整っていて、各国の研究者家族が居住していました。このアパートに引っ越して初めて、ストックホルムで日本人家族と交流を持ちました。娘の保育園もすんなり決まり、息子も産まれて、落ちついた日々を過ごすことができましたが、2年しか居住が許可されていませんでしたので、入居1年半後には再びアパートを探すことになりました。

Lostigen6

スウェーデンではいわゆる不動産会社が提供する物件がほとんど存在しないため、滞在を続けるにはローンを組んでマンションを購入するか、セコンドハンドのアパートを期間限定で借りるかしかありません。ローンを組む資金も無かったため、インターネットでセコンドハンドを探し、オーナーと交渉して次のアパートを決定しました。オーナーは老夫婦で、冬の間ブラジルに移住するのでその間だけ部屋を貸してくれました。入居してみると、片付けられているはずの部屋には生活雑貨が溢れていて、自分たちの荷物がほとんど置けない状態でした。おまけにシャワーが壊れて熱湯しか出なくなり、本当に泣きそうになりました。共同洗濯室は真っ暗な地下通路の奥にあり、まるで肝試しのよう。このアパートがある地区はストックホルムの北に位置し、この冬は例年になく大雪が続きました。大雪の翌日は近くの丘まで行き、娘とそり滑りをして遊びました。再び精神的に厳しい日々が続きましたが、家族4人で過ごした思い出深いアパートです。

Infanterigatan11

老夫婦がブラジルから帰ってくるので、再びアパート探しの日々に。ネットで見つけた次のアパートのオーナーと運良く電話で交渉でき、即日入居決定。オーナーは若い夫婦で、奥さんがタイ人でタイに移住するので1年間だけ部屋を貸してくれました。今度はきれいに片付けられたが、なんとトイレと風呂の改修工事が終了しておらず、一ヶ月以上地下の共同トイレとシャワールームを使用することに。改修工事は遅々として進まず、抗議の電話をかけると担当者はいつも病欠でした。やっとトイレ問題が解決し、それ以降は比較的落ちついた日々が続きました。ところがこの冬、ヨーロッパ全土に大寒波が襲来しました。ストックホルム市内も−30℃を記録し、家族が酷い凍傷になってしまいました。結局このアパートに帰国まで住むことになりましたが、再びアパート全体の改修工事が始まったため、もし滞在を続けていればまた引っ越ししなければならなかったでしょう。写真はスウェーデンを去る日に撮影したアパートの全景です。

Preschool & Elementary School

Förskolan Thors

スウェーデンに移住したものの、なかなか娘の保育園が決まらず、役所に直談判してやっと決まったのがこの保育園 (Förskolan)でした。アパートから歩いて30分、ソルナ市の郊外にあるスウェーデン語の保育園。ところが正規の入園ではなかったため、一日3時間しか預けられませんでした。言葉もわからず、友達の中にはなかなか入れなかったようです。引っ越しのため結局3ヶ月しか登園しませんでしたが、異国で初めての保育園でした。

Förskolan Forskaren

2つめの保育園はストックホルム市の郊外にある、英語クラスのある保育園でした。日本人の先生もいて、入園は極めてスムーズに進み、最初の保育園で苦労したのが噓のようでした。毎日泥んこで外遊び、夏は近くのビーチで一日過ごし、秋は野山でキノコや木の実を採って遊び暮らしていました。同時に娘はここで生きるための英語を学んだようです。

Rödabergsskolan

保育園を卒園し、ストックホルム市内の小学校に入学しました。この小学校には英語クラスがあるため、各国の研究者家族が子供を通わせていました。1クラス20名ほどの児童を2人の先生が受け持っており、娘の担任であるシンガポール出身の先生は見事なテンポで異文化の子どもたちをまとめていました。2年ほど通ったこの小学校、最後の登校日はたくさんの友達に見送られました。

ストックホルム日本人補修校

日本語の習得と維持のため、毎週土曜日に娘は日本人補修校に通いました。日本から派遣された校長先生、そして現地採用のクラス担任の先生から構成されており、日本の小学校と同じ教科書が使用されていました。教科は国語と算数のみ、授業は日本の学校の進度に合わせて行われますが、1週間分の内容を半日でカバーするので、教えられる側も、そして教える側もなかなか大変です。友達の多くは、お父さんがスウェーデン人、お母さんが日本人のご家庭でした。スウェーデンに永住を決めたお母さん達の逞しさ、同時に異国で日本語能力を維持することがどれほど大変かを身を持って知ることができました。

Joyful Education

2歳になった息子の保育園を決めるにあたり、当初予定していた園との交渉がうまくいかず途方に暮れているところに、偶然知人の紹介でこの保育園を紹介されました。ちょうど新しく設立されたばかりで園児を募集している最中だったこと、入園説明会で息子が投げキッスをして園長先生のハートをがっちり掴んだのが功を奏したのか、即入園となりました。Joyful education というちょっと変わった名前の保育園、一応英語クラスでしたが日常会話は8割型スウェーデン語だったようです。どんなに寒くても外遊び、子供らはこれまた野に放たれていたようです。結局帰国までの半年ほどしか通えませんでしたが、思い出深い保育園です。

Hospital

Karolinska Hospital 

息子が産まれた病院です。スウェーデンでは通常分娩では母親と新生児は即日退院、帝王切開でも2日で退院させられます。分娩は家族立ち会いで行いました。へその緒が欲しいと医者に言ったら、長いチューブ状の臍帯をそのままくれました。妊娠・出産にかかる費用は5千円ほどで済みました。

MVC (mödravårdscentralen)

スウェーデンでは、妊娠と出産後のケアはすべて助産師と看護婦によって行われます。妊娠判定後、母子保健センター (MVC) と呼ばれる場所に登録すると、専門の助産師が指定されます。出産後の新生児のケアは看護師が行い、ひと月に一度検診を受けます。健診代と子供の診察代はすべて無料で行われました。

 

Four Seasons

Spring スウェーデンの春

スウェーデンの春は遅れてやってきます。4月の終わり、ヴァルプルギスの夜と呼ばれる魔女の祭りが行われ、そこかしこの公園でかがり火が炊かれます。これが終わるとようやく待ちにまった春の訪れです。5月になれば新芽が芽吹き出し、凍てつく冬の寒さから開放されますが、それでもまだまだコートやジャケットが必要です。

Summer スウェーデンの夏 

夏は1年で最も楽しい季節です!6月中旬の夏至祭りの後、人々は2ヶ月の夏期休暇に入ります。学校も仕事もすべてお休み、みんな避暑地にあるサマーハウスでのんびりと北欧の夏を楽しみます。サマーハウスなんて持ってなかった僕らは、日がな公園で過ごしたり、郊外へ遊びにでかけました。短い夏の間にたっぷりと日光を浴びておかないと、長い冬を乗り切ることができません。

Autumn  スウェーデンの秋

夏が終わると急速に日が短くなり、スウェーデンの短い秋がやってきます。朝晩の空気はどんどん冷たくなり、再びジャケットやコートが必要になります。10 月、11 月ともなれば日没は午後3 時、それ以降は真っ暗になります。ハロウィーンのお祭りが過ぎればいよいよ本格的な冬の訪れです。

Winter スウェーデンの冬

長く厳しい冬がやってきました。家々の玄関や窓辺にはオイルランプやアドベントが灯されて、暗い冬の夜を彩ります。公園には橇が無料で貸し出されているので、大雪の後は家族で橇遊びを楽しみました。12 月のルシア祭やクリスマスが過ぎれば学校も商店もすべてお休みに入り、街はすっかり静寂に包まれます。